キャッチコピーやエッセイの公募に挑戦するとあなたの人生は豊かになっていく
ぼくはキャッチコピー・エッセイや作文などの公募に挑戦しています。
公募に挑戦することで、得られることがたくさんあるからです。
賞金や実績は目に見えてわかりやすい結果です。ですがそれ以外にも、作品を作る過程で自分と向き合うことが、成果という捉え方もあります。
どういうことかというと、
たとえばエッセイの公募にチャレンジしているとします。
日々の体験から、思ったこと・感じたこと・考えたことを整理していく工程は、自分の日常を振り返る行為です。
その思考過程のなかで「もっとこうすればよかった」「次はこうしよう」と考えを巡らせることは、ごく自然なことです。
そうして日常を振り返ったりする機会はそんなにありません。日々忙しくしていると、じっくり時間をかけて考える時間を持てなくなるからです。
公募は、そうした時間を強制的につくる機会でもあります。
たとえ賞を取れなかったとしても、参加して応募する過程の中でいろんなことを受け取っているのです。
キャッチコピーの公募で得られるものは賞金と実績だけじゃない
もう少し、公募に挑戦すると得られることについて考えてみようと思います。
ぼくは介護職員として働いている傍ら、介護をテーマにした公募に挑戦しています。
自分の体験がそのまま作品に反映できるので、創作しやすいのです。
公募は自分との対話をする機会になる
作品を生み出すには、自分の中にある体験や経験を振り返ったり整理したりして、自分との対話を繰り返さなくてはいけません。
実際に体験しているその時では気づかなかったことも、あとから思考を整理してみると気づくことがあります。
たとえば子供のころに理解できなかった大人の世界が、大人になってから理解できるようになるとか。そんなイメージです。
エッセイで文章を書いたりキャッチコピーなどの短い言葉を考えたりするとき、気になったことを書いておく・アイデアをメモしておくなど、頭に浮かんだ思考を自分の外側に取り出すことをします。情報収集することも同じことです。
そうして自分の外側に書き出した思考は、主観から客観に切り替わり、整理することができます。
公募は客観的な自分を見つめるきっかけになる
つまり作品をつくる行為は、自分自身を客観的に見つめなおす行為なのです。
そうすると、いろんなことに気付かされます。
あの時の考え方は幼稚だったとか、逆にあの時の考え方や行動は正しかったなど、過去の自分の考えや選択・決定がみえてきます。
過去が整理されれば、これからのこと・未来のことも考えやすくなってきます。
自分を見つめ直すことに、公募を利用してもいいのです。
考えることが日常を豊かにしていく
公募作品は、自分自身と対話をして生み出していかなくてはいけません。
思いつきやヒントとなる情報など、作品づくりに必要なことに対してアンテナが敏感になります。
こうして意識を向けること・常に考えを巡らせることが、公募以外のことにも繋がっていきます。
たとえば、ぼくは介護エッセイの公募に挑戦していて、日々の仕事を振り返るような文章を書いていました。
自分の仕事中の思考や行動を省みて整理していくうちに、改善しなくてはいけないことに気づきましたし、逆にぼくにしかできない仕事の仕方にも気づけたのです。
公募に挑戦したからこそ、気づくことができました。
キャッチコピーの公募で相手に伝える力を身につけられる
応募した作品は、ほとんどの公募の場合、審査員によって評価を受けます。
ということは当たり前ですが、見られる・読まれることを前提で作らなくてはいけません。
相手に、伝える・伝わるように書く必要があります。そのことを意識することが、コミュニケーション能力の向上につながって行きます。
審査員に選ばれるために必死になろう
作品を応募するからには、ぼくはただ参加するだけでなく賞を狙います。
そのためには、審査員の方々に作品を見てもらわなくてはいけません。
人気のある公募は、数万件という作品が集まります。当然ですが、その中で自分の書いた作品が選ばれなくては賞はもらえません。
作品が埋もれないように、どうしたら目立つか・どうしたら印象に残るかを考えなくてはいけません。
人と違うことを考えたり、作品にアイデアをプラスするなどの工夫が必要です。また、相手に伝わるように作れているかも意識しなくてはいけません。
公募の応募規定があなたの思考を深くする
公募には、テーマや応募規定などが決まっています。
たとえばエッセイなら「介護の良さを伝える」というテーマで「1,200文字以内」で書いてくださいといったことです。
この、規定やルールが思考を鍛える上でとても大きな役割を果たしてくれます。
エッセイの公募にはじめて挑戦したとき
ぼくが初めて介護エッセイに挑戦した時、1,200文字の応募規定に対し、書き上げた文章は4,000文字を超えていました。
自分では無駄のない文章を書いたつもりでも、見直してみるとテーマから脱線していたり、余計な構成があったりと、推敲するたびに作品が磨かれていきました。
結局、5回の推敲を重ね、規定の文字数1,200文字におさめた記憶があります。
公募によって言葉が磨かれていく
この推敲を重ねる行為が、自分自身との対話そのものではないかと思うのです。
余計な言葉や情報を削ぎ落としていった結果、思考はシンプルになりますし、同時に相手にも伝わりやすい作品に仕上がっていくのだと思います。
そしてその行為によって磨かれた言葉は、自分自身の成長を意味しています。
キャッチコピーの公募はアイデアをひねり出した
言葉を削っていく一方で、言葉やアイデアをどんどん生み出していかなくてはいけない公募もあります。
キャッチコピーの公募は短い言葉で考えやすくはありますが、その反面だれでも気軽に応募できるので、似たような言葉が並んでしまう傾向にあります。
誰もが思いつかない鋭い視点や新しい視点を探すために、自分の中の言葉を絞り出さなくてはいけません。
思考の回数が多くなれば、日常でも思考することが増えてきます。それはそのままあなたの人生を豊かにしてくれます。
公募によって、いろんなことが得られているのです。
キャッチコピーやエッセイの公募に挑戦することはあなたの未来を創っていくこと
言葉を考える公募に限らず、絵や写真・アイデアなどの公募に挑戦することは、あなたの未来を変える力があります。
賞を獲って実績を積めば、もしかしたら「作家としてデビューしませんか?」とお誘いを受けることも出てくるかもしれません。
ぼくみたいに介護の仕事をしていて介護の作品を作ることは、仕事に良い影響を与えてくれます。
公募で新しい自分と出会う
公募に挑戦する過程で、自分自身と対話を繰り返しているうちに、今まで気づかなかった自分の強みや弱み、得意なこと不得意なことが見えてくることもあります。
ぼくははじめて書いたエッセイが賞をもらった時に、もしかしたら文章を書く才能があるのかもしれないと思いましたし、書くことが好きだということを自覚できました。
これは公募に挑戦したからこそ、出会えた自分です。
たとえ公募で賞を取れなかったり実績にならなくても
作品はあなたの手元に残っています。
その時評価を受けることができなかったとしても、別の機会で評価されたり、評価してくれる人が現れたりするかもしれません。
なにより、公募に挑戦した自分自身をあなたが評価すればいいのです。
そして一番大事なことは、
創作自体を楽しむことです。
創作を楽しむということはつまり、新しい考え方や思い・感情に出会うこと。新しい自分に出会うことではないでしょうか。
ぼくはそう思って、公募に挑戦しています。