エッセイ
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エッセイの公募に挑戦するようになって毎日が楽しくて充実してきた

hisashi
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毎日、エッセイのネタを探しています。

面白い出来事があれば、すぐさまメモしますし、

感情の動きや心の変化があったときも、すぐさまメモをする。

なにか閃いたときにも、すぐにメモです。

1日の終わりに、すべてのメモを見直して、

「これはエッセイのネタに使えるなぁ」とか「このネタはちょっと寝かしておこうかなぁ」とか、ひとりでムフフな時間を過ごしています。

こんな感じで、エッセイを書くようになって、毎日を注意深く過ごすようになりました。

のざき寿
のざき寿

こんにちは、のざき寿(ひさし)と言います。元お笑い芸人です。毎日noteでエッセイを書いています。

ぼくがこうしてエッセイを書くようになったのは、あるエッセイの公募で賞をもらったことがきっかけでした。

その公募で書いたエッセイが、実は初めて書いたエッセイだったんです。

はじめて応募した作品で賞をもらうことができたんです。

「あれ?もしかして、ぼくって才能ある?」って、ちょっと勘違いしてしまいました。

そうしてぼくはエッセイにのめり込んでいき、いまでは毎日noteにエッセイを投稿するようになりました。

のざき寿(ひさし)
のざき寿(ひさし)
Webライター
Profile
2020年に宣伝会議コピーライター養成講座卒業。キャッチコピー公募で受賞経験あり。現在は介護職員。副業でWebライティング・noteでエッセイを書いています。元Webエンジニア。吉本興業の元芸人.。
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エッセイを書く楽しさってなんだろう

エッセイの公募に挑戦するようになって毎日が楽しくて充実してきた
エッセイの公募に挑戦するようになって毎日が楽しくて充実してきた

ぼくはなんでこんなに、エッセイを書くことにのめり込んでいるんだろうと考えてみたいなと思いまして。

文章の種類には、コラム・小説・論文・ビジネスに関連した情報・ノウハウを伝えるものなど、いろいろあるわけです。

その中でもエッセイって、ちょっと特殊だと思うんですよね。

エッセイは自分の物語

エッセイって、基本的には自分のことを書くんですね。

自分の身の回りで起こった出来事に対して、どう感じたのかを綴る文章がエッセイだと思っています。

自分が主人公の小説とでもいいましょうか。

日記とも少し違っていて、日記は出来事を記録しておくためのものというか。自分だけが読み返すものなので自己完結でいいんです。

エッセイ以外の書き物って、自分が主人公ではありません。

小説であれば架空の主人公が展開してきますし、コラムや論文は自分の外側で起こる出来事を客観的に捉えて書きます。

面白いエッセイを書こうとしたら、自分が面白い人になるか、もしくは面白い体験・経験をするかがとても大事になってくるわけです。

ぼくはもともと芸人をやっていたので、エピソードトークを作るくらいの感覚で文章を書けることが楽しいのだと思います。

エッセイは他人に見てもらうことが前提の文章

自分のことを書くだけなら日記でもいいわけですけど、日記は自分だけが見返すもです。

一方でエッセイは、読者に伝えることを想定して書きます。

この「読まれる・見られる」とう意識が、文章の書き方に大きく作用していきます。

服でいえば日記は部屋着、エッセイは外着とでもいいましょうか。

やっぱりエッセイを書く時って、少し「格好つけているなぁ」と感じることがあるんです。

本当はムカついていたのに、エッセイに書くときは冷静を装って格好つけるみたいな。

その人間らしい部分がね、面白かったりするわけです。

人によって変わっていく文章

自分の身の回りに起こった出来事に対して、

「どう思ったのか」

「どうしたのか」

こうした感情や心の動きを描写することが、エッセイの本質だと思っているのですが、

目の前に同じ出来事が起こっていたとしても、人によって感じること・考えることは違いますし表現の仕方も違っていて、

この「他人とはちょっと違う考え方の差異やズレ」とでもいいましょうか。

そうした新しい発見がエッセイにはあるんです。大袈裟ですがエッセイを書くたびに新しい自分に出会えるわけです。

これも、エッセイの面白いところです。

エッセイで自分自身が見えてくる

エッセイを書いているうちに、自分のことをより深く理解できるようになりました。

「あのときこんな出来事があったのか」「自分はそう感じていたのか」「そんな行動をとったのか」

など、自分の思考を文字として客観的にしたきに、自分という人間を冷静に判断できるようになりました。

いわゆる価値観や信念みたいなもがブレなくなってきたように思います。

エッセイで自分の言葉を磨く

文章中にどんな言葉を使っているか。その言葉の使い方でその人格が見えてきます。

人を不快にする言葉や表現・ネガティブな言葉や表現が多い文章であれば、それは今現時点で自分の取り巻く環境がそうなってしまっていることを意味します。つまり不快に思った出来事が沢山あったということがいえます。

ですが、良くない出来事が起こったとしても、前向きに・ポジティブに捉えることは可能です。

自分の外側で起こることはどうにも変えられなくても、自分の内面は自分の思うように変えられると思ったのです。

不幸中の幸いに気づくことができるかどうか、そのためにエッセイを書くのはとても有効的だと思ったんですね。

そうして、前向きな言葉を使っていくうちに、自分の言葉が磨かれていく感覚が実感としてありました。

エッセイ公募の面白さ

もともとぼくは、キャッチコピーの公募に応募していたんです。

キャッチコピーの公募でも賞をいただくことができて、公募自体の面白さを知っていました。

大人になって、何かで表彰されることなんてないですからね、

賞を受賞して実際に賞状が手元に送られていきたとき、仕事でいい成果を出した時の何倍も嬉しい気持ちになりましたし。

エッセイなら書けそうだと思った

「キャッチコピーの延長でエッセイは書けそうかも」

軽い気持ちでエッセイを書いてみたことがきっかけでした。

というのは、エッセイは長くても2,400文字程度、400字詰め原稿用紙で6枚程度です。

そのくらいの文章であれば書けると思ったのですね。

一方で小説やコラムなんかは、ストーリーを展開させて完結させるまで10万文字以上は書かなくてはいけなかったり事実確認が必要だったりします。

ぼくにはハードルが高すぎました。

エッセイならワンエピソードでいい。芸人が「すべらない話」をする感覚に近いと思ったんです。

作品は応募することで磨かれていく

はじめて書いたエッセイは、2,400文字の応募規定だったのですが、

初稿を書き終えた時、8,000文字以上ありました。

書けそうかなぁと思って書き始めたら、書きたいことがありすぎて軽く文字数オーバーしていました。

これにはちょっと絶望しましたが、

ただ、見直してみるとめちゃくちゃ無駄な部分があるわけです。

合計5回の推敲を繰り返して公募に応募した

8,000文字の文章を2,400文字に削るために、合計5回の推敲を繰り返しました。

テーマとは関係ないことは大幅にカットしたり、エッセイの構成を入れ替えて面白く展開するように工夫したり、

最終的には1文字ずつ削っていきました。

さながら映画監督になった気分です。

そうして作品が磨かれていく瞬間が楽しいわけです。作品づくりを通じて自分も一緒に成長していく感覚もありました。

賞をもらってさらにエッセイの公募が面白くなった

そうして苦心して作った作品。

できれば評価されたいですよね。

ぼくが初めて公募に送った作品は、制作期間に2週間ほどかかりました。

公募に送ってしまえば、あとはもう受賞を祈るだけしかありませんが。

そしたらまんまと賞を受賞してしまったわけです。

大きな賞ではありませんし有名な賞でもない。でも、他人に作品を評価されるドキドキ感というか、見られている快感というか、それが楽しいんです。

それからずっと公募には挑戦していて、今までで累計合計10万円の賞金を獲得することができました。

エッセイの公募に応募する目的とは

ぼくは今、介護職員としてデイサービスで働いています。

前職はWebのエンジニアでしたが、将来親の介護が待っているのでその準備として介護職員に転職しました。

エッセイで介護業界のことをもっと知ってもらいたい

実際に介護業界で仕事をしてみると、いろいろな問題・課題に気づきました。

世の中の介護職に対するイメージもあまり良くありません。

「きつい」「きたない」「キケン」というイメージはまだまだあるようです。実際に働く人の中にも「他の仕事に就けないからしょうがなく介護の仕事をしている」方もいて。

ぼくの個人的なことでいえば、介護離職の問題があります。母親の介護がはじまったら仕事との両立は難しいでしょうし。

こうした課題に対し、発信されている情報はネガティブなことが多く、ニュースになるのは大抵、凄惨な事件だったりするわけです。

エッセイ公募に実績を利用して伝えたいこと

公募で受賞したことによって、ぼくのエッセイに触れてくださる読者の方も増えました。

多くはありませんが、少なくとも何も実績がない人よりは読んでもらえると思っています。

ぼくは介護の仕事が好きで面白いと思ってやっています。

公募noteを通じて、介護職・介護に対するイメージをポジティブに変えたいと思うようになりました。

公募が仕事にいい影響をもたらしてくれた

介護の仕事をしていると、高齢者との会話の中で使う言葉に注意を払わなくてはいけません。

汚い言葉、人を傷つける言葉、失礼な言動をしないように意識します。

そして相手は自分より年上の存在です。使う言葉を間違えれば、いい人間関係を築くことは難しいんです。

エッセイの公募で言葉を磨いていることが、対人コミュニケーションにおいていい影響を与えてくれました。

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エッセイの公募を始めたことでいろんなことに積極的になった

エッセイのネタのなるのなら、いろんな体験をしてみたいと思うようになりました。

今までしてこなかったことも、

今まで苦手としてきたことも、

新しい感情に出会えるのであれば、積極的に挑戦してみたいと思うようになりました。

苦手な人とも付き合ってみる

今まで避けていた人。

できれば関わりたくない人でも、もしかしたら自分の思い過ごしで勘違いしているのかもしれない。

案の定、関わらない方が良かったとしても、

それもひっくるめてエッセイに書いてしまえば、おもしろいネタになります。

苦手な仕事もやってみる

得意じゃない仕事は、実はなるべく避けていました。

得意な人がやればいいものだと、ぼくはそう思っています。でも、苦手なことに取り組んでいる自分は、他人からみたらおもしろいかもしれない。

これもエッセイのネタのなるのなら」そう思ったら、やってみようと思いました。

初めての場所・初めての人にも会ってみる

コロナ禍もあって、なかなか外出できませんでしたが、noteを始めたことでいろんなエッセイストの方にも会えましたし、クリエイターさんとの出会いもありました。

エッセイのためですが、新しく始めた行動でまた新たな自分に出会うことができました

たとえ公募で賞を取れなくても実績にならなくても

作品はぼくの手元に残っています。

その時評価を受けることができなかったとしても、別の機会で評価されたり評価してくれる人が現れたりするかもしれません。

なにより、公募に挑戦した自分自身の成長が実績として残っています。

創作を楽しむということはつまり、

新しい考え方や思い・感情に出会うこと。新しい自分に出会うことです。

公募をキッカケにして、ぼくは自分を成長させているに過ぎません。

それくらい気軽な気持ちで公募に取り組んでいます。

書いてきたエッセイは、できればいろんな人に読んでほしい。

ずっと書き続けていると、共感してくれる仲間を探すようになります。

エッセイは自分の感情や思考をさらけだす文章なので、共感してくれる方も多いのではないかと思います。

愚痴や不平不満を書けばそういった人があつまってきますし、

希望や夢、豊かさを描けばそういった人が集まってきます。

賞を獲って実績を積めば、もしかしたら「作家としてデビューしませんか?」とお誘いを受けることも出てくるかもしれません。

そんな妄想や空想が、きっと現実になっていくのだと思います。

そんなこともエッセイに書いていこうかなと思っています。

エッセイを書き始めてから、毎日が充実しています。

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