エッセイ
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売れない芸人時代があったからこそ今がある

hisashi
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20代のころ、ぼくはお笑い芸人を目指していました。

高校を卒業したあと、アルバイト生活でお金を貯めてから上京したので、そのアルバイト期間が大体二年くらいあります。100万円くらいは貯金してたと思います。

そのお金は、上京したとき引っ越し資金であっという間に消えてしまいました。たしか養成所に支払った入学金にも使ったと思うので、ほんとに一瞬でなくなりました。

お笑い事務所が開校している養成所に一年通い、お笑い芸人としてデビューしました。

デビューといっても仕事や舞台があるわけではありません。新人に与えられる舞台の時間は月1回、ネタ時間1分という本当に限られた時間しかありません。

その1分で結果を残さなければ、また来月も同じ持ち時間しかもらえません。

今考えると、かなり厳しい戦いだったと思います。芸人として腕を磨かなくてはいけないのに、腕を磨く場所がないわけですから。

過酷な状況でも日常を楽しめたわけ

そんな過酷な状況下でも、芸人生活は辛くなかったです。

やっぱり好きなこと・関心のあることを、自分の意思で選択して実行しているとうことが根底にあったからではないでしょうか。

自分の頭で考えて行動していく。

ぼくはこれが楽しかったんだと思います。

生活は厳しかったですよ。アルバイトを何個も掛け持ちしていましたし、お金ないから遊びに行ったりもできない。服も買えない。

その上、お笑いの方でも結果のでない時期が数ヶ月続くのです。精神的にはかなりギリギリの状態のときもありました。

「死を目の当たりにすると生を実感する」確かにそうかもしれません。

芸人仲間の存在も大きかった

芸人に限らず芸能の世界にいる人は、どうしても社会から少し離れたところに存在してしまいます。

売れて世の中に認められれば社会の一員に入ることもできるでしょうが、売れていない芸人は存在価値が見出せなくなります。

だから同じような境遇の芸人仲間が、心強い存在であり味方なのです。なんでしょうね、家族以上のつながりを感じますし、同じ釜のなんとかを超えた絆と言いますか。現実社会に抗うように生きた同士といったような。ひとくちに「仲間」と表現するには言葉が足りないのです。

とても居心地がいい。でもこの居心地の良さが自分の足を引っ張っていきました。

芸人仲間から抜け出さなければ

同じような境遇の連中とずっとつるんでいるとうことは、自分も仲間も成長していないということです。

芸人として売れるということは、その仲間たちから頭ひとつ抜け出して違うステージに行くといことです。居心地の良い場所を捨てる覚悟ができたやつから売れていきました。

ぼくの同期でも、売れていった仲間がいました。

昨日つるんでいた仲間が、テレビの向こう側にいってしまう。

どこか夢や幻想と思っていたテレビの世界が、現実のものとして突きつけられた瞬間に「ずっとこのままでいてはいけない」と、ぼくたちを我に返させてくれたのです。

もうとっくに30歳を過ぎていた

「よし、これから頑張ろう!」

そう思った時はもう30歳を迎えていました。

芸人としては若手と言われるかもしれませんが、20歳からその世界にいる連中が芸歴10年ということになります。

一般社会でいえば、10年同じ業界や職場にいたらベテランでしょう。独立を考えるタイミングでもあるはずです。

ぼくにはもう、遅かったのです。

はじめから芸人を頑張っていればよかった

それからは、今まで過ごしてきた時間を後悔ばかりしていました。

「なぜもっと早いうちから計画を立てて実行しなかったのか」

「目標や目的を持って舞台経験を積まなかったのか」

これが20歳、芸人デビューしたときからできていたら、ぼくは今頃売れていたのかもしれない。

過去ばかりを振り返り後悔している人間に未来はありません。

そのうち考えることにも疲れ、結局そのまま芸人を諦めてしまうことになります。

芸人を辞めて抜け殻になったぼく

他にやりたいことが見つかって芸人を辞めたわけじゃなかったので、芸人を辞めてからの2年間はアルバイトで食い繋ぐ日々を送ります。

どう考えても、他にやりたいことが見つかりませんでした。

でも、このまま人生を投げ出すような勇気もありません。それでもまだ、人並みの生活は送りたいという欲求があったわけです。

「やりたいこと」ではなく「やれること」を探す

かなりの期間、やりたいことは見つかりませんでした。

なので、やりたいことを探すことはやめて、やれることを探すように考え方を変えました。

ぼくにやれること。

芸人としてしか活動してこなかったので、その経験を活かすしかない。そう思って「営業職」を選択しました。芸人はコミュニケーション能力に長けていると勘違いしていたのもあります。

実際に営業職に就いたものの、ぼくコミュニケーション能力や営業力がなくて苦戦しましたし、結局仕事が嫌になってやめてしまったのです。

でもそうして失敗しながらも、少しずつでも前に進んでいくことを覚えていきました。

向いていることを探せるようになってきた

失敗を重ねるたびに落ち込みはしましたし、それこそ転職もたくさんしてきましたが、その経験が積み重なっていくことで成長を実感することも増えてきました。

そのうち、自分に向いていること・やりたいこと・やりたくないことを分析できるようになってきました。

気分が乗らないのに仕事をしていることが、どうしてもぼくには我慢できないってこともわかってきました。

30代半ばでやっと正社員になれた

就職しては転職、そんなことを繰り返して正社員として働き出したのは芸人を辞めて5年後でした。

アルバイトから入社し、正社員として雇ってもらうようになったのです。

そのときは、Web制作会社に就職しました。ものを作る仕事をしたかったし、技術や知識を磨いていく仕事が楽しいと感じていたからです。

30歳半ばで新卒みたいな。

もう、同級生とか世間とか、周りの目を気にしてもしょうがないと思っていましたし、芸人をはじめたときから社会の目なんて気にしてなかったのだから。

自分の好きなように生きる。そうして生きてきました。

今でもその考え方は変わらないですが、うまくいかないことは全部自分の考えや行動が原因だと思っています。逆に言えば、人生は自分自身で切り開いていくしかないのです。

なぜ芸人として成功できなかったのか

それはやはり、覚悟がなかったからだと思います。

覚悟があって芸人として生きていくと決めていれば、もっと具体的な行動を考えていただろうし、まわりの環境に流されることもなかったように思います。

決めることは自分自身しかできないことです。

覚悟は自分自身からしか生まれません。

これは今までもこれからも、ものすごく重要なことだと思っています。この先の人生もチャレンジや試練が待っているでしょう。

その時に覚悟や選択・決定を下すのは自分自身だからです。

そしてぼくはこれから先の人生。成功しかないと信じています。

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