エッセイ
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挫折してどん底から這い上がった経験があるから怖くても挑戦できた

hisashi
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ぼくは、20代のころ、芸人をしていました。

上京して、一人暮らしをしながら芸人をしていました。

30歳になるまで続けていたんですが、結果をだせずに30歳になった時にやめることにしました。

これは芸人を辞めてからのお話なんですが、

芸人をしているときもそれなりに生活は苦しかったのですが、辞めた後の方がもっと苦しくなってですね、

何が苦しいのかって、生活費はもちろんなんですけどね、次に進む道が定まっていないってことが精神的に苦しかったんですよ。

いまさら芸人に戻ることはできない。その道は未来がまったく見えなくて、とてもじゃないけど引き返すことはできなかったんですよ。

これを世間では「挫折」というのでしょうか。いや、そんな格好のいいものではないですね。挫折って言葉の中には「一度、日の目を浴びた」っていう意味が含まれていると思うから。

芸人として日の目を見たことはなかったです。もう、芸人でも何者でもなかったのかもしれません。

結局、芸人を辞めてから、2年くらいは居酒屋のアルバイトで食い繋いでいました。

でも「このまま終わってたまるか」っていう残り火みたいなものは、微かに燃えてはいたんですよ。

挫折したって人生は進んでいく

「ちょっと、いま挫折中だから、待っててもらっていいですか」

そう叫んでいたら、家賃や光熱費を待ってくれたらいいですよね。人間、生きていたらそういう時期はあるわけですから。
国はそういうことを考えて、税金を少し待ってくれるだとか、ちょっとお金をくれるだとか、

いやいや世間の人は真面目に働いているんですから。好き勝手生きてきた人間は、自力で這い上がっていかなければならないですね。

やりたいことがまったく見つからない日々

居酒屋でアルバイトは続けていたものの、これからの人生をどうやって生きていけばいいのかまったくイメージができませんでした。

芸人以外やりたいことはなかったですし。でも、芸人を続ける覚悟はありません。

ただ生きているような感覚。アルバイトだけで日々が過ぎていく。

そんな毎日で、2年くらいは過ぎていったんじゃないかと。

まともに社会人をしたことがなかった

ぼくは高校を卒業して芸人になったので、社会人としての経験はありません。

いや、高校を卒業して地元の工場に就職したのですが、ぼくには向いていないと思って半年で辞めてしまいました。これはもう、社会人とは言えないですね。

就職活動をしたこともなければ、仕事をするということ自体、理解できていなかったように思います。

アルバイト生活も2年くらい経って、

「やっぱりこのままアルバイトしていても何も変わらない」

ちょっとずつ気持ちの変化がでできたことを覚えています。

ハローワークに行ってみる

そうした気持ちの変化が、少しずつ行動に現れてきました。

とりあえずハローワークに行くことにしました。恥ずかしい話、30歳を越えて初めてハローワークに行ったのです。

ハローワークで求人検索をして、求人票の募集要項を見て。ぼくが応募できる求人は、ほとんどありませんでした。

未経験でもできる仕事はたくさんあります。でも、そのほとんどが工場勤務だったり運転だったり。ぼくがやりたいと感じる仕事ではなかった。

贅沢を言っているのはわかります。でも、ぼくは「ただ働く」ってことができなくて。

何日かハローワークに通って、求人だけ見て帰る日が続きました。

職業訓練を受けることにした

その時からでしょうか。

「ぼくは一体なにがしたいのだろうか」

自分は一体、何に興味があるのか。どうせ働くなら自分が興味や関心のある分野で働きたい。そして芸人の経験を活かせる仕事はないだろうか。漠然と意識し始めます。

求人を眺めていて思ったことは、

「まず社会人としての基本を学ばなくてはいけない」そう思いました。

ハローワーク内をフラフラとしていて、気になったのは職業訓練。

「ビジネスマナー講座・パソコンスキルセミナー」という貼り紙。

職業訓練というものさえ知りませんでした。その貼り紙を見た時「あ!これだ!」って思ったんです。

見つけてすぐに、応募しにいったことを覚えています。

芸人を辞めてから3年は経っていたと思います。ここからやっと、どん底から這い上がっていくように行動しはじめました。

挫折から逃げるように行動した

当時はアルバイト生活でまともに働いていなかったから、雇用保険もなかったんです。

職業訓練は講座にかかる受講料は基本的に無料です。それに加え雇用保険がなく一定の収入がない人は、求職者支援制度ってのがあって、毎月10万ずつ国からの支給を受けながら職業訓練に通うことができるのです。

ぼくは、求職者支援制度を使って職業訓練を受けました。

30歳半ばはじめて触るパソコン

今でこそこうして、ブログをしたりプログラミングをしたりしていますが、ぼくが始めてパソコンを触ったのは30歳半ばです。

職業訓練でパソコンの電源の付け方・消し方から学んで、ワードやエクセルを触り始めました。

それこそ、職業訓練のテキスト以外にも、書店でパソコンの本を買ってひたすら読みましたし。

純粋に、パソコンを触ることが楽しかったですね。

何かに必死になると挫折はどんどん薄まっていく

そうして何かに必死になると、自然に挫折からは遠のいていくのだと思います。

行動してると気持ちも前向きになってきますし、できなかったことができるようになると自信もついてきます。今まで見えてこなかった未来も見えてきます。

何かに失敗して落ち込んでしまったとき。そのことに目を向けるのではなく、いったん別のことをするってことは、いい方法かもしれません。
逃げるのではなくそうして失敗から距離を置くことで冷静な感情になれますし、時間を置いたほうが物事を客観視できるます。

半年かけてハローワークに通った結果

たしか就職活動も含めて、半年くらいの職業訓練だったと思います。

「営業職」「広告関連」という求人検索をしていました。

50社以上は履歴書送ったと思います。

「元芸人という、訳のわからない経歴を面白がってくれる会社があるはずだ」そう思って、手当たり次第応募していました。

印刷会社の営業で採用される

あったんです。

ぼくに何かしらの期待をしてくれる会社が。

「元芸人」という突飛な肩書きを、面白がってくれる人がいました。

東京の印刷会社の営業。品川勤務。

よくよく考えたら、素敵な肩書きですね。

毎日通勤電車にギュウギュウになりながらも、着慣れないスーツに身を包んでいても、それでも人生が前に進んでいる実感がありました。

変化はまだまだ終わらない

結局、その会社も半年で辞めてしまうんですが、

理由は「営業職がぼくには向いていなかった」と、当時のぼくはとても未熟な人間でした。

それでも「社会人として働くことができた」そうした自信にはつながっていて、どん底から這い上がる方法も学ぶことができたし、ぼくにとってかけがえのない経験になったことだけは確かです。

その当時、お世話になった方々へ。本当に申し訳ないと思っています。

それからも同じような挑戦は続きました。

自分に合った仕事や働き方って、そう簡単には見つからないのかもしれません。ぼくはWebエンジニアをしていたのに、今は介護職員ですから。

時代の変化とともに、自分の心の変化とともに、どんどん変わっていくものだと思います。

でも、ひとつだけ変わらないことがるとしたら。

どんなに挫折やどん底だったとしても、人生は続いていくということ。時は流れていくということ。そして、どうせなら前に向かって行動した方がいいってこと。

挑戦することが怖いのではなく、挑戦しないことのほうが怖い。

ぼくはそう思って、今も必死にもがいています。

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