30代どん底の人生から這い上がるためにぼくがしてきたこと
あなたは今、人生どん底の真っ最中…ですか?
もがき苦しみながら、日々を送っているかもしれませんね。
心配しなくていい。大丈夫です。
一度落ち込んだら、あとは上がっていくだけですから。
ちょっとずつでもいい、前に向かって歩いていけば人生はまた明るくなってきます。
一度人生のどん底を経験したあたなたは、以前に比べて逞しくなっているはずです。
ちょっとやそっとの困難なんかもろともしない。何事にも挑戦する勇敢は人になっているでしょう。
人生のどん底の期間が感謝に変わる時が必ず来ますから。
安心して前に進んでください。
ぼくの人生のどん底は、30歳の時でした。
20歳からプロのお笑い芸人目指して芸人活動をしていたのですが、まったく売れず。
30歳の時に漫才コンビの解散をきっかけに、芸人を辞めることを決断しました。
一般の社会で働いたことのない、まだまだ芸人に対して未練が残っているような状況で…その先の人生を全く想像できない日々が、それから2年ほど続きました。
お金もありません、というか、芸人時代に借りた借金がありました。もちろん彼女もいません。
芸人時代の友達とは、ぼくが芸人を辞めてしまったことで話がまったく噛み合わなくなってしまいました。孤独でもありました。
本当に、八方塞がりの状態…
唯一、アルバイトだけはやっていたので、それだけがぼくの人生です。
人間、どん底まで落ち込むと…どうなると思います?
たとえば、海で溺れそうになった時、
あなたならどうします?
手足を必死にバタバタさせて、もがきますよね。

ぼくは、もがいてみようと思いました。
このままアルバイト生活をしてても、何も変わらないだろうと行動し始めました。前に進むようになってから、ちょっとずつ人生が上向いて行ったんです。
人はどん底まで人生が落ち込むと、自然にそのような行動を取るのではないでしょうか。
もし行動を起こす気にならない場合、それはまだ人生のどん底じゃないかもしれません。
この記事では、ぼくが人生のどん底からどのようにして這い上がっていったか…ぼくが行った行動を書いていこうと思います。
夢に向かって挑戦しない人生よりも、リスクを取って夢に挑戦した人生の方が、ぼくは素敵だと思います。
あなたも恐れずに、夢や目標に向かって挑戦しましょう。
人生のどん底にいたとしても、何度だって這い上がることはできるのですから。
20代どん底の生活だったけれど辛くはなかった

芸人時代も苦しい生活でした。けれど、つらくはありませんでした。
ぼくが芸人を目指して上京したのは20歳の時です。
地元の居酒屋でアルバイトをし、上京資金100万円を貯めて実家を飛び出しました。
若気の至りといいますか…とにかく地元から抜け出したかったんです。
ぼくは高校を卒業して地元の工場に就職しました。
家が母子家庭であまり裕福な家庭じゃなかったから、大学の進学は学費がかかるのできないと思い込んでいて、イヤイヤ地元のパン工場に就職したんですね。

もうね…仕事が嫌で嫌で。
半年でその工場を辞めてフリーターになりました。そして半ば逃げ出すように「お笑い芸人になる」と言って上京しました。それが20歳の時です。
他人から見たらどん底の人生でも…
東京ではじめて住んだところは、湿気の匂いがキツイ風呂無し4畳半のボロアパートでした。
裸電球・土壁・和式トイレ。アパート名も「〇〇荘」だったと思います。

本当に、お金がなくて…
銭湯に行くお金をケチって、近所の市民プールでこっそり温水シャワーだけ浴びにいっていました。
真冬のクッソ寒い時期には、流しに頭を突っ込んで真水で髪の毛を洗っていたときもあります。
え?昭和初期の話じゃないですよ。平成の時代の話です。
他人から見ればどん底に見えるかもしれません。
お金がない。知り合いもいないし家も着る服も身分も立場もよくない。
でもね、そんな生活でもそれほど辛くはなかったんですよ。
なんでかというと、
「夢」があったから。
「目標」があったから。
この辛い経験は「芸人として売れた時にきっとネタになる」そう思っていたからです。成功するためには必要な苦労だと思っていたんです。
上京したてのころ・新しいことにチャレンジし始めた頃って、モチベーションが高い状態ですから。
ちょっとやそっとの困難なら跳ね返してしまう情熱があるんですよね。
しかし…
次第に暗雲が立ち込めてきます…
少しずつ人生がどん底に近づいていく
上京して数年。
ぼくは吉本の養成所に通い、吉本所属の芸人になっていました。
まずそこで、最初の挫折を味わいます。

面白い人、たくさんいるなぁ〜
吉本の養成所は、ぼくと同じように地方から上京してきて一発当てて成功したい!って思うような人間ばかりです。
面白い奴はいるし、個性的な奴、評価されてどんどんチャンスを掴んでいく奴。
ぼくは箸にも棒にも引っかからず…養成所を卒業したはいいものの、全く仕事がありませんでした。
舞台に上がってお客さんの前でネタをするのは月に一度。しかも持ち時間は1分しかありません。
その舞台に上がるために、チケットノルマがありました。1,500円のチケットを15枚先に買って、自分でチケットを売らなくてはいけませんでした。
ファンの方なんていません。売れないチケットはただの紙切れです。
アルバイトするだけの抜け殻の日々
芸人になるために上京したのに、アルバイトをしている時間の方が多くなりました。
そんな生活が3〜4年続いたでしょうか。それでも奮起して結果を残したこともありましたが、
上京した頃のモチベーションはなかったように思います。
どん底人生の入り口に立っていました。
どん底の人生とはどんな状態なのか
どん底の人生を決定づけたのは、コンビの解散でした。
ぼくは漫才コンビを組んで芸人活動をしていました。
活動期間は6年ほどでした。その6年の間、めざましい成果を出せず時間だけがすぎていきました。

漫才コンビって…成果が出ないと…仲が悪くなります。
成果の出ない理由がわからない。理由がわからないからこそ、原因を相手のせいにしてしまうんですね。
「俺は頑張ってるのに…お前が足を引っ張っている」とか…
相方はぼくと同じ歳くらいなので、お互い若いわけですよ。
コンビ歴を重ねるほどに、どんどんコンビ仲が悪くなっていきまして…
ネタ合わせもろくにしなくなったり…そもそも口を聞かなくなっていきました。
だからコンビ解散は当然の結果だったんです。
でも、いざ解散するとなると、やはりちょっと落ち込みましたね。仲良かった時期もあったわけですからね。
本当の人生のどん底とは
時の流れはあっという間です。
ぼくは30歳になっていました。
上京してからの10年は、あっという間に過ぎていました。20代が終わっていました。
漫才コンビを解散してから「このまま芸人を続けるかどうか」について考えた時、
ぼくの頭の中で、成功しているビジョンがまったく描けませんでした。
また相方を探し新コンビとして一からやり直す。もしくは、ピン芸人として再スタートを切る。
いろんな方法を考えたのだけれども、成功するイメージがわかない。そうなると、またアルバイトの生活を続けなくちゃいけなくなる。
お笑いは好きです。でも、成功するかもわからない後戻りできなくなる人生に向かうことが、とても怖くなりました。
だから…
芸人を辞めることにしました。
芸人に対して未練と悔しさを抱えたまま、ぼくは怖くて逃げ出したんです。
この先の人生…どうやって生きていくか。
何をやっていくかも全く決まっていません。
残ったのは、アルバイトだけ。
芸人を辞めてからしばらくの間、夢も目標も何も持たずに、アルバイトだけの生活をしていました。
本当の人生のどん底とは、生活苦や挫折を味わっている時ではないと思います。
人生のどん底とは、生きる目的を失った状態のことを言うのだと思います。
芸人を辞めてからもどん底の人生
アルバイトの収入で、かろうじて生活はできている。
ただそれだけの状態でした。
お酒を飲んでダラダラしたり、DVDを借りて一日中ゴロゴロしたり。
しばらくそんな抜け殻の状態が続くとですね、
焦ってくるわけですよ。
怖くなってくるわけですよ。
「あれ、このまま死んでいくのかな…」って。そこで自覚しました。
「ああ、これがどん底なんだ」と。
「やばい、このままでは取り返しのできない人生になってしまう」
どん底を抜け出したくてとりあえず本屋に向かう
何を思ったのか…
とりあえず近所の本屋に向かいました。
ホリエモンが証券取引法違反の罪で獄中にいたとき、それこそ本をたくさん読んでパワーアップして戻ってきたように、
ぼくもどん底という獄中にいたのでしょうか…「本を読まなくてはいけない」と思ってですね、ある本を手にしていました。
タイトルだけを見て、手に取った記憶があります。
とにかく何かにすがりたかったんだと思います。
たしかですね、本を写経した覚えがあります。
芸人の世界観から抜けだずように、一般の社会人に適応できる人間になろうと必死の行動でした。
本の写経だなんて…馬鹿げているかもしれません。なんでもよかったんです。とにかく前に向かって行動することが大事だったんです。
今思えば、どん底の人生から抜け出すための最初の一歩は、読書からでした。
どん底の人生から這い上がる
「ずっとこのままアルバイトを続けているわけにはいかない」
ぼくは社会人として会社に就職するという目標を立てました。
高校を卒業して工場に勤めて、それからは会社に入ったことはありません。
就職活動もまともにしたことがなく、はずかしながら30歳にもなって履歴書の書き方すらわからない状態でした。
なので、ハローワークに行くことにしました。
やりたい仕事は見つからない…けど
ハローワークにいけば仕事はたくさんあります。でも、
やりたい仕事がなかなか見つかりません。
芸人には、まだまだ未練はあるわけです。
でも、どん底から抜け出すためには…あれこれ選んでる場合じゃない。
そんな葛藤と戦いながら、ハローワークを行ったり来たりする毎日。
でも「就職する」という目標ができたおかげで、確実に前に向かって歩き出したタイミングでもありました。
職業訓練を受けることにした
いくら考えても「芸人以外に、自分は何に興味があるのか」が、分からずにいました。
ならば、芸人の経験が活かせる仕事に就こうと考えました。とはいえ心に引っかかる仕事になかなか巡り会えない…モヤモヤとした日々。
ハローワーク内をフラフラとしていて、気になったのは職業訓練。
「ビジネスマナー講座・パソコンスキルセミナー」という貼り紙をみて、まずは社会人としての基礎を学んでからでも遅くないと思い職業訓練に応募しました。
新しく何かを学ぶってことが楽しくて仕方ない。
人間ね、何かに夢中になっていると、不安とか心配をしなくなるみたいです。
もうこの頃には、どん底の人生からは抜け出していましたね。
30歳を過ぎてからはじめたパソコン
職業訓練で学んだことは、
- ビジネスマナー
- 電話対応
- ワードやエクセルの操作
- 就職活動の支援
それこそ敬語の使い方や電話対応なども分からなかったですし、パソコンに関しては電源の入れ方さえも知りませんでしたし。
書店でパソコンの本を買いまくりました。パソコンにハマっていきました。
完全に人生のどん底から抜け出した瞬間
何かに没頭している時って、それ以外のことがどうでもよくなります。
職業訓練に通っている時は、生活こそ苦しかったけれど充実していました。
上京してきた当初のような、第二の人生が幕を開けました。

パソコンを使った仕事に就けないだろうか…
ちょっとずつ、見えてこなかった未来も見えてきました。
難航した就職活動
とはいえ、30歳までフリーターをしてきたような人生。
そう簡単には採用してもらえません。
たぶん50社以上、不採用通知をもらったと思います。
でも、諦めませんでした。
最終的には、芸人としての経験を活かせると思い「営業の仕事」を探していました。
「元芸人という経歴を面白がってくれる会社があるはずだ!」そう思って手当たり次第応募していました。
漫才をしていたのでコミュニケーションスキルをアピールしていこうと考えていました。
30歳にして社会人で晴れて社会人デビュー!
そして決まった会社が、東京の印刷会社の営業職です。
結果的に営業職が肌にあわなくて、半年でやめてしまうのですが…
退職を機に、実家に戻ることにしました。
よくよく考えたら素敵な肩書きですし、もう少し頑張っておけば良かったかなぁと惜しい気持ちもあります。
毎日通勤電車でギュウギュウになりながらも、スーツに身を包んで会社に出勤していましたねぇ〜。懐かしい。
芸人を辞めてから3年の時間が過ぎていました。
やっと、人生のどん底から這い上がりました。
人生のどん底からきっと抜け出せる
実家に戻ってからも、決して順風満帆な人生ではありません。
また一から就職活動をしたりして、苦労もたくさんしてきました。
でも、あの人生のどん底から這い上がった経験が、ぼくに粘り強さや諦めない根性みたいなものを育ててくれました。
パソコンのスキルをもっと磨きたいと思ってプログラミングを勉強してWeb制作会社に就職しました。
今は介護職員としてデイサービスで働いています。
芸人を辞めてから第2の人生をスタートさせるまでのことは、今でもぼくの財産となっています。
あなたは今、人生のどん底かもしれません。
でも安心してください。
どん底に落ちたら、這い上がるだけしかないのです。時間がかかってもいい。気持ちが前に向かうまでもがきましょう。
挫折やどん底に追い込まれたとしても人生は続いきます。
挑戦することが怖いのではなく、挑戦しないことのほうが怖いです。
どん底に落ちても、絶対になんとかなりますから。
失敗を恐れず、夢や目標に向かって挑戦していきましょう!
ぼくも頑張ります!
そして、あなたを応援しています!