Webライターの始め方・未経験ならnoteで文章力を磨いてから案件に応募したほうがいい
Webライターの人は、noteでエッセイかコラムを書きましょう。
素直に自分の考えや主張を書いたり、体験から感じたことを正直に書いたりすることがとても大切だからです。
あなたは、最後に自分の書きたいことを自由に書いたのはいつですか?
Webライティングは、クライアントや依頼者から構成案が送られてきて、その構成に沿って文章を書かなくてはいけません。
Webライティングは基本、SEO対策をしなくてはいけないので、タイトルや見出しのキーワードも決まっています。
Webライターは自分で文章を書いているように思っていても、実はクライアントやSEOに文章を書かされているのです。
ぼくは書かされる文章を書きたくないと思いましたし、このままWebライティングの案件ばかりをしていてもWebライターとしての未来はないと思いました。
そこで、noteでエッセイやコラムを書くようになりました。
Webライターこそエッセイやコラムが書けないと厳しくなってくる
きっと、WebライターはクライアントからのWebライティングの案件ばかりこなしていると、どんどん仕事は先細りになっていくと思います。
だからこそ、エッセイやコラムの書けるWebライターを目指す必要があると思っています。
WebライターはAIライティングやChatGPTに勝負を挑んではいけない
クラウドワークスやココナラ、ランサーズにあるWebライター案件のほとんどが、AIライティングで置き換わっていくでしょう。
AIライティングを使ってクライアント側で記事の作成ができるようになるのは、時間の問題です。そうなると案件の数はどんどん減っていく。
それに反比例して、Webライティングをする人は増えて行っている印象を受けます。つまり、少ない案件を取り合いする状況に向かっているのです。
文字単価はどんどん安くなるでしょうし。納期も短くなっていくと思います。
文章が上手くなってきたという錯覚
もうひとつ、Webライターの首を閉めていく行為があるとするなら、
おそらくWebライターとしての今までの実績や記事を見てみると、同じような文体だったり表現だったり。そうなっていると思います。
毎日文章を書いていれば、文章力はついてきます。だたそれは、無駄なくわかりやすく書ける技術だったり、文章を効率的に書ける文章の型だったり仕組みでしかありません。
あなたの書いた文章が、面白いか・興味を引く内容だったか・感動を生む文章だったか、つまり人の心を動かした文章だったかは、Webライティングをしているだけでは身についていかないのです。
とうかむしろ、Webライティングばかりしていると、そうした文章の本質みたいなことをどんどん失っていくのではないかと思っています。
SEOは検索エンジンの評価であって人の評価ではない
SEOを評価するのは検索エンジンです。
SEOに評価された記事が、必ずしもいい文章とは限りません。むしろ人にとってはまったく面白味のない味気ない文章だったりするのではと思います。
というのは、Webライティングは主観的な表現を避けるように書きます。
「ぼくは(わたしは)、このように思った・感じた」というような、属人的な文章を書かないようにレギュレーションが決まっていたり、文末表現なども「です・ます」でわかりやすく3回以上続けないなどのトーン・マナーが決まっていたりします。
おそらくSEOで評価されるのは、無駄のない一般的な知識の集合体です。つまりあなたの主観や偏見に基づいた感想は、社会的に認められた専門家や文化人でない限り評価されないのです。
今までのWebライターはそれでよかった
それでよかったんです。決められた文章の型に沿って、わかりやすく情報を伝えることがWebライター・Webライティングの目的でした。
しかし、AIやAIライティング・ChatGPTによって情報の民主化が進んで誰もが高速で情報にアクセスできる世の中になってくると、今まで書いていた一般的な情報は単なるゴミの山になってしまいます。AIやChatGPTがゴミの山から必要な部品だけを集め再構築し、最適解を抽出してくれます。
誰もが使っているWebライティングの教科書で得た文章力は、武器としてはもう使い物にならなくなってきているのです。というか、もう使い物になりません。
だからこそWebライターは自分にしか書けないエッセイやコラムを書かいたほうがいい
Webライターを廃業するか、それともエッセイやコラムを書いて生き残るか。
近い未来、Webライターはそのような選択を迫られるようになります。
クライアントの案件ばかりこなしているWebライターは、いきなりエッセイやコラムを書けと言われても書けないでしょう。
まず、自分のことを書くというブロックが働きます。主観を外して書いてきたWebライターとしての弊害です。
そして、もうひとつ大きな壁にぶつかります。
Webライター以外の経験があるかどうかでエッセイやコラムが書けるかどうかが決まる
副業でWebライターを始めた人が、Webライターの仕事が軌道に乗ってきたので、専従Webライターとして独立するケースを見かけます。
おめでとうございます!と言いたいところですが、少し不安な側面を抱えていると思っています。
それは、Webライター以外の経験を積む機会を失っていることです。
家にこもっていてもWebライターとしての体験しか増えない
専従のWebライターになると、室内のこもって執筆をする時間が長くなります。
効率的で生産性が上がる反面、外出の回数が減ると体験することが少なくなってきます。
要するに、情報や知識量は増えても、実際に行動することのない頭でっかちの状態になりかねないのです。
エッセイやコラムは体験から生まれる
エッセイやコラムは基本的に自分の体験がネタのになります。
つまり、体験がなければエッセイやコラムが書けないのです。たとえ、擬似的な体験をあたかも体験したかのように書けたとしても読者は見抜くでしょう。
AIライティング・ChatGPTで書かれた記事や文章はは、なんとなく見抜けますよね。
Webライターはコラムやエッセイでどうやって稼ぐのか
あなたしか書けない文章だったり体験だったり考え方だったりを、今のうちから発信しておくことをお勧めします。
AIライティング・ChatGPTの文章にWebライターが勝てなくなったら
すでに、AIライティング・ChatGPTで書かれた文章と、Webライターが書いた文章は比較されています。
そして、前者のAIライティング・ChatGPTで書かれた文章に軍配が上がることは目に見えています。ChatGPTが登場して数年で、めざましい進化を遂げているのは誰の目にも明らかで、その進化は止まることを知りません。パラダイムシフトがいま起こっているのです。
あの人の文章を読みたい
となると、人間は人間らしい考え方や思考、表現で勝負する必要があります。
「あの人の文章を読みたい」と思わせられるかどうかで、執筆者の価値が問われる時代になっていいきます。
その根底にあるものが「人間味」だと思っています。
人間味のある文章を書けるWebライターにならなくてはいけない
今執筆しているWebライターの案件とは真逆の思考で文章を書いていかなくてはいけません。
つまり、自分の体験を自分の主観で語り、特徴的な描写や表現で描かなくてはいけないのです。そのWebライターとして余分ところが「人間味」と言えるのではないでしょうか。
世界にひとつだけしか存在しない文章だからこそ価値がある
そのようなことを意識して文章を書くと、オリジナリティの高い文章が書けるようになっていきます。そうした文章は、AIライティングやChatGPTには書けません。
その練習のためにも、エッセイやコラムを書いていく必要があるのです。
noteならあなたのエッセイやコラムに値段をつけられる
人間味のある自分の文章が書けるようになったら、noteで値段をつけて売ってみましょう。
「あなた考え・ものの見方知りたい」という人を増やしましょう。
そうして文章自体に価値が付けられるようになったら、もうクライアントに振り回されることはないでしょうし、Webライティングの案件を他のWebライターと奪い合わなくてす見ます。
SEOとか関係なく、あなたの書く文章そのもので勝負できるようになるのです。
これがぼくがWebライターとして生き残るために導き出した結論です。
文章を書くという本来の楽しみを再確認しよう
あなたはWebライターを始めた時、どのような動機でWebライターを始めましたか?
「文章を書くことが好きだから」という理由で始めたのではないでしょうか。
どうでしょう?
自分の書きたい文章は書けていますか?
Webライターは楽しいですか?
クライアントに要望に応え続け、SEOを意識した文章ばかり書いていると、次第に執筆本来の楽しさを失っていきます。
それでもWebライターが楽しいといえるは、作業に対しての報酬であったり仕事の仕方だったり、執筆とは別の成果に対して得られる感情ではないでしょうか。
執筆本来の楽しみを失わないためにも、Webライターとして生き残っていくためにも、エッセイやコラムに挑戦してみてください。
きっと、また新たにWebらいたーとしての楽しみを見つけられるはずです。
ぼくはそうしてWebライティングを続けていきます。